アンチ・グルメ大作戦

アンチ・グルメ大作戦 vol.01 魚種差別を許してはならないの巻
投稿日: 2015/12/23|Posted in アンチ・グルメ大作戦!|(無断転載禁止)
今から40年も前の事。今は亡き「宝島」というサブカル誌middle_classがB6判(128mm×182mm)サイズだった頃、嵐山光三郎さん一味が連載していた「チューサン階級の友」というトボけたセクションが人気を博していた。当時の宝島は手元に一冊しか残っていないので内容はうろ覚えだが、強烈に記憶に残っている主張(!?)が一つある。それは確か「イワシが鮭より安いどころか屑値で売られているのは、イワシに対する差別であり、とても容認できるものではない!」というようなものだった。

確か、マグロではなく鮭だったと思うのだが・・・まぁ、どちらにせよ、今に至ってもマグロや鮭は「高級魚」と呼ばれているわけで、高級の対義語は(どう考えても)「低級」であり、となればイワシは「低級魚」となってしまう。これはとてつもなく失敬千万な話であり、イワシに対する魚種差別としか言いようがない(築地の初競りでは「大間マグロ」に1億円以上の値が付いたりして、来年も似たようなイベントがニュースのヘッドラインを飾ると思うと、うんざりである)。

よく、自分のブログ上に小綺麗な料理写真を毎日のように載せている人を見かけるが、その真意を計りかねてしまう。よほど変わった食べ物なら納得できるのだが、高級店のフランス料理だったり、六本木の有名なイタリアン・パスタだったり、行列の出来るラーメン屋だったり・・・まぁ、空腹に苛まれ飢えている第三世界の人たちは、インターネットには(ほとんど)縁がないだろうから影響は少ないのかもしれないが、彼らがそれを見たらどう感じるか・・・ということを一瞬でも考えた事があるのだろうか。

私の旧友に食文化をレポートする仕事に携わっている男がいるのだが、彼のブログは職業上、どうしても「料理」の写真が多い。ただ、その食の文化的背景や、食材に纏わるエピソードなどを独特の視点で紹介するので面白いのだが、それでも時々「俺はこんなものを食った。羨ましいだろ。ざまーみろ」的な印象を受けることがある。まぁ、それでも頭に来ないのは、単に彼の「食い意地」を知っているのと(笑)、その料理写真の異様さにあるからなのだ。

彼は写真を(かなり)専門的に学んだ筈なのだが、「何が」と言われても困るのだが、どの料理写真も(ことごとく)美味しそうに見えないのである。基盤に損傷のある「露出がイカレたデジカメ」でも使っているのだろうかと思った事もあるが、今やデジカメは、みな数台所有している筈なので、彼も同じカメラで撮り続けているとは考えにくい。さて、写真アングルも若干変だが、フツーの標準レンズで撮っている筈なのに、両端が魚眼とまでは言わないまでも広角レンズで撮ったような印象を受ける事があり、高級店がそんな変な盛りつけ方はしないだろうと思うほど、とにかくアスペクト比も含めて何か歪んで変なのである。最も特徴的なのはその「色彩」で、何か澱んで見えるので、とても食べてみたいという気が起こらない。

おそらく彼は、その深層で料理そのものには興味が無いに違いない。頑張って店開きに漕ぎ着けた店主への共感とか、冴えない菜っ葉だが民衆に愛され続ける煮付けとか・・・そういった方向にばかり眼が向いてしまうので、写真は後回しになり、その結果画像が寝惚けてしまうのだろう。

どうも私の友人は、その手の人間が多く、例えば脱サラして突然「飲み屋」を始めた男もそうだ。「ぐ○な○」等に寄せられた女性客からのメッセージは以下のようなものだった。

「ご近所に飲み屋さんが出来たというので、会社の帰りに同僚の女性達と寄ってみたんです。ところが、閉店時間は午後7時という貼り紙が・・・普通飲み屋さんって、その閉店時間ぐらいからオープンしませんか?これでは、会社の帰りに寄るのは無理。とっても残念です」

これには爆笑してしまったが、後日、この女性は優しい人だったようで、またしても書き込みを・・・

「朝ご飯もやっているというので来てみました。リベンジです。メニューは3つぐらいしかないのに、料理が出てくるまで結構時間がかかって・・・でも、とっても安くて美味しかったです」

300円ぐらい握って行けば、とりあえず空腹は免れる・・・きっとそんなコンセプトの店に違いなく、ただ、閉店時間が午後7時の飲み屋というのは・・・やはり何かおかしい。まぁ、彼のことだから「朝から飲めば良いではないか」という事なのだろうけど。


アンチ・グルメ大作戦 vol.02  ありあまるごちそう
投稿日: 2015/12/24|Posted in アンチ・グルメ大作戦!|(無断転載禁止)
B級が庶民料理なら、A級は宮廷料理や高級食材を使った料理という事になるのだろうが、惚けた話である。日本も経済格差が広がってきたので、何とかA級なものを食べたいと願う浅ましい上昇志向(!)を持つ手合いが増えてきているような気がする。

高級ベンツを所有しているが、そのベンツは月極駐車場に駐めている・・・それは人それぞれで別に良いのだが、敢えて言えば、やはり大邸宅の大きな門の中に駐めてこそ高級ベンツは釣り合うような気がするのである。ちなみに、外車を持っている人を、例えば「ポルシェ・オーナーの方」などと呼ぶ人を見かけるのだが、彼らは、ダイハツのクルマを持っている人には「ダイハツ・オーナーの方」とは言わないようである。

かつて台湾の裕福な家庭の留学生と知り合った時、彼女は日本人が好んで「焼き餃子」を食べるのが愉快だと言っていたのを思い出す。旧宗主国の人間たちが、餃子を好んで焼いて食べるのが可笑しくて仕方なかったというのだ。というのも、台湾の宮廷料理では餃子は蒸すか茹でるのが普通で、冷めてしまった残り物の餃子は、使用人が焼いて食べると相場が決まっているからだそうだ。従って、彼の地で焼いた餃子を好んで食べるのは使用人の血筋というイメージがあるらしい。

味覚というのは不思議なもので、いくら「こちらの方が上物!」と言われても、ピンと来ないところにある。例えば、中米グァテマラの良質のコーヒーを日常的にガブ飲みしているのは(他でもない)日本人であるが、生産者であるグァテマラ先住民たちに「輸出用高級コーヒー」を飲んで貰っても、彼らはそれが美味しいとは感じないのだ。一度飲んで貰ったから分かるのだが、彼らの何人かは「あまりの不味さ」に吐きだしてしまったくらいだ。彼らが日常的に飲んでいるのは、屑コーヒーに雑穀を混ぜて焙煎したもので、まるでコーヒーの味がしないのだが、彼らにとってはそれがコーヒーなのだから仕方がない(生産者がその味を知らないというのは別の意味で由々しき問題だが、今は培ってきた味覚というものを話している)

それは、日本人が数十グラムで一万円以上もする皇室御用達の緑茶の味に慣れていないのと同じである。例えそれを飲んだとしても、スーパーで売られている玄米茶の方が美味しく感じるかもしれない。

私が学生の頃は、A級だのB級グルメだの・・・そういった戯けたカテゴリーは存在しなかったが(勝ち組と負け組という言い方もなかったが)、出来ればA級を食べられるような身分になりたいという手合いが増えているとしたら、世も末である。自分の「味覚」というものを信じられず、誰かがでっち上げたカテゴリーの間を右往左往するのは滑稽としか言いようがない。

私が今までの人生で最も美味しいと感じた料理は、かつて香港の秋葉原と呼ばれた「深水埗(シャムスイポー)」近辺の不衛生そうな屋台で食べた(ランニング・シャツを着た、薄汚い親父が作った)「ビーフ&ブロッコリー炒め」(約100円)である。これに匹敵する味には、その後一度も遭遇していない。

ところで、学生時代から大ファンなのだが、自らをking_oscar「ゲージツ家」と称する篠原勝之さんが、かつて「超豪華な酒の肴」と紹介していた「オイル・サーディン」の調理法は未だに凄いと頭を垂れるのみだ。さすがゲージツ家である。

使用するのはノルウェー「King Oscar」のオイル・サーディンで、先ず缶を開けたら油を捨て、タマネギの微塵切りと少量のニンニクを載せ、缶のまま直接火にかける。焦げるまで焼くのが重要で、最後に醤油を少量かけてサッと焼き、レモンを搾って口の中へ。食器はいらないし、味も絶品としか言いようがない。King Oscarのものはイワシがゲージツ的に配置されているので、他メーカーの追随を許さない。他メーカーのオイル・サーディン缶は、テキトーに配列されたイワシが焼いている最中に暴れて破裂したりする上、缶が安物なので焦げたイワシがこびり付いて完食に時間がかかるなど面倒なので、やはりKing Oscarに軍配が上がってしまう(ただ、King Oscarの半値ぐらいだがペルー産のラテンなサーディン缶は、同様に優れている)

数年前に話題になった「ありあまるごちそう」というドキュメンタリー、見ていない人はレンタルショップで借りましょう。食料廃棄率世界一が「日本」だという恥ずべき事実を先ず認識した方が、よーござんす。A級・B級もヘチマもない世界に私たちはいるのだから。


アンチ・グルメ大作戦 vol.03  魔法の白い粉
投稿日: 2015/12/24|Posted in アンチ・グルメ大作戦!|(無断転載禁止)
かつて中国で名の知れた有名な料理家である大老が来日し、日本に本場の中華料理を伝授した。さて、中国も開放政策が進み、大老はようやく自由に祖国に出入りできるようになった。凱旋帰国した大老は、かつての弟子達に囲まれ日本での体験を聞かれるなど、大人気。

「先生、何か作って頂けないでしょうか」

弟子達にせがまれ、大老は大鍋を使って鮮やかに料理を始める。弟子達は、流石に大老だけあると感服し、その一挙手一投足を注視している。

大老は最後に、胸から取り出した謎の白い粉を「サッ!」と投げ込み、料理は完成。その料理を口にした弟子達は、その深みのある味に痛く感激し「流石に先生は進化し続けている!」と大絶賛。

「先生、私は昔先生の料理を口にする栄誉に預かったことがあります。その時も大感激しましたが、今日の料理はそれ以上でした!先生、先生が最後に投げ込まれた、あの白い粉は何なのでしょうか?私はそれが、味に深みを与える魔法の粉と直観しました。よろしければ、その秘伝を・・・」

大老は言った「それは企業秘密である」

・・・これは、ある役者さんから聞いた話で(有名なヨタ話だそうで)、話のオチは、それが「味の素」だったというもの。

その役者氏(泥舟岩太郎さん)と何故そんな話になったかというと、ある企業のビデオ撮影時に、貧しい主人公がラーメンを作るシーンがあったのだが、透明感のあるスープ色にこだわる私の意向で、インスタント・ラーメンに付属している粉末スープを入れず、単なるお湯に浮かぶラーメンを食べて貰ったのだ。初めの内は、例え演技でも不味いものは食べたくないと苦情を言っていた役者氏だったが、「スープを入れていないのに味がある!」と目を丸くしている。試しに私も食してみると、なるほど十分に味がある。そこで、この揚げた麺には味の素が染み込ませてあるに違いないという結論に達したのである。

dorobuneかつて記した事があるが、私は5年ぐらい前まで「うまみ調味料=MSG」というものを一度も使った事がなく、どうすれば「関東地方のどの街にもある、フツーの中華料理屋のラーメンやタンメンが作れるのであろうか」と長年に渡り、実に様々なトライをしてきたのである。しかし、横浜中華街の専門店で中華鍋だけでなく、中華料理用強力大型ガスバーナーまで買いそろえ試してみても、どうやってもその味に迫れずに嘆いていた。

ところがある日、家人とフツーのラーメン屋に入った際、どのように調理するのかが仔細に眺めらるチャンスに恵まれた。・・・な、なんと料理人は「うま味」を大量に「サッ、ドサッ」と投入したのである。

自宅で同じものが作れると分かると、めっきり外食が減ってしまう。ついでに言うと、原価が70~80円のものに700円近く支払うのが馬鹿らしくなってくる。これは別に中華料理だけでなく、私が贔屓しているラテンアメリカの料理も同様である。

そこでしか出せない味・・・というのなら外食も仕方ないが(例えば日本ではなかなか手に入らないメキシコのトルティージャ用マサを探し当て必死にこねるのは大変だし、キューバのパタコネスも緑バナナが無いと万歳だが)、通常の料理でそういうことは滅多になく、大抵の味は家庭で再現出来てしまう。

かつてメキシコに長く駐在していた(味にうるさい)人が遊びに来た時にメキシカン・ライスを出したのだが、その彼が唸って言った。

「こ、これは、まさにメキシコの味だ!懐かしい!」

彼には、その秘密を伝授しなかったが、その正体は右のsazon_A通りである(笑)

さて、騙されたと思って以下のレシピーで塩ラーメン(一人分)でも作ってみて下さい。

・味の素(大さじ大盛り1)
・醤油(大さじ1)
・塩(小さじ大盛り1)
・胡椒(小さじ1/2)
・オイスターソース(小さじ 1/3)
・ネギ油(大さじ1)←なければ「ごま油」を代用
これで、あと一つ味に物足りなさを感じたら味覇 [ウェイパァ] (小さじ 1/3)を投入

また、上品なスープで有名な某「おでん屋」の味は再現出来ないものかと先の役者氏に話しかけると、役者氏はかつて「おでん屋」の厨房でアルバイトをしていた事があるそうで、「あんなものこそ自宅で簡単に再現できる」と豪語するのだった。

「ハンパでない量の味の素を入れるだけだ」

・・・試してみると、その上品なスープで有名な某おでん屋の味と酷似するものが、簡単にできてしまったではないか。


アンチ・グルメ大作戦 vol.04 魂の料理=ソウルフード
投稿日: 2015/12/25|Posted in アンチ・グルメ大作戦!|(無断転載禁止)
ソウルフードというものを持ち得なかったチューサン階級の友である私には、たとえ嫌悪感を催そうとも「B級グルメ」という戯けた呼称に収まっていた方がお似合いなのかもしれないと、くさる事がある。

米国に滞在していた頃、ラテンアメリカの料理や中華料理ばかりを食し、アフリカンアメリカンの「ソウルフード」にはほとんど縁がなかったのだが、それには理由があった。例えば黒人奴隷料理の代表格「フライドチキン」など、鳥料理が食べられない私は敬遠せざるを得なかったからだ。

マンハッタンでウェイターをやっていた時、アフリカンアメリカンの注文は、注文を取る前から予想することが出来た。「きっと、チキン唐揚げとジンジャーエールだろう」・・・そして、それはほとんど的中した。アフリカンアメリカンはチキンが大好物なのだ。

「えっ!?フライドチキンが黒人奴隷料理の代表格?」と眉をつり上げた人は、上原善広さんの「被差別の食卓」を読むべきだ。白人農場主の捨てた手羽先や足先などをディープ・フライドして骨まで柔らかくして食べたのが、その起源ということだ。つまり、ソウルフードとは被差別の食卓から生まれたものなのだ。

被差別の食卓」ブックカバーの袖には、こう記されている。
大阪のある被差別部落では、そこでしか食べられない料理がある。あぶらかす、さいぼし。一般地区の人々が見向きもしない余り物を食べやすいように工夫した独自の食文化である。その“むら”で生まれ育った著者は、やがて世界各地にある被差別の民が作り上げた食を味わうための旅に出た。フライドチキン、フェジョアーダ、ハリネズミ料理。単に「おいしい」だけではすまされない“魂の料理”がそこにあった。

釜ヶ崎に闖入していた若い頃、そこで忘れられない味に遭遇した。それは「ホルモンうどん」だった。その美味さは言葉では言い表せないものがあるのだが、それは当たり前で、上原さんが記しているように「被差別の食卓には、それぞれの被差別民たちの血と汗と悔し涙が込められている」「ただ単純においしいで済まされるような生易しいものではない」からだろう。

それを知れば、「まったりとした触感、コリコリとしたホルモンの歯応えが云々」などとは恥ずかしくて書けなくなってしまう(どのみち書く気は毛頭ないが)

ただ各国に存在するソウルフードは、単純においしいで済まされるような生易しいものでないのは分かるが、やはり「超美味」としか他に言いようがないのである。メキシコのスラム街で日常的deep_friedに食される「ソーパ・デ・パンシータ」というのは、透明度のあるコンソメ・スープに白いトロトロの牛の胃袋が浮かんでいる代物で、初めのうちはその悪臭に倒れそうになる。しかし、毎日食している内に完全に癖になってしまう。南米ブラジルのフェジョアーダも同系列のホルモンと黒豆のスープになるだろう。

中米で唯一の英語圏(ラスターマンだらけの)ベリーズという国で、私は毎日「揚げ魚定食」をご馳走になっていた(写真は、ベリーズ南部プンタ・ゴルダの外れにある漁村)。この魚のディープ・フライドとご飯は、日本の「焼き魚定食」に酷似しているのだが、ディープフライドで骨まで食べられるようにしているところが、日本の焼き魚定食とは異なってフライドチキンとの共通点が伺える。

よく、日本のレストランで見かける「創作料理」というものは、ソウルフードを知れば知るほど底の浅い、浅はかなアイデアであると思えて仕方がない。フォアグラとロシア産高級キャビアの掛け合わせなどという想像力ゼロな代物は、A級グルメに任せておこう。


アンチ・グルメ大作戦 vol.05  俺たちは鳩ではない、人間なんだ!
投稿日: 2015/12/26|Posted in アンチ・グルメ大作戦!|(無断転載禁止)
ニューヨークの日本レストランで、いつもは大人しいメキシコ人たちが反乱を起こした事がある。彼らは厨房で皿を洗ったり、キャベツを刻んだり真面目に頑張っていたのだが、ある日、昼食の賄い料理が気に入らなかったのか、揃って逃亡してしまい「アミーゴ達がトンズラした!」と大騒ぎになったのである。

そのレストランは高級レストランで豪華な賄いで知られていたのだが、誰かが「たまには昼飯に、塩むすびと沢庵、冷や奴やワカメの味噌汁あたりで決めたいねぇ」などと言ったのが災いした。そこのウェイター達は、何故か全員スペイン語が堪能のラテンアメリカ贔屓ばかりだったのだが、「塩むすび」の誘惑にすっかり負けてしまい、アミーゴ達の食文化にまで気が回らなかった(全くと言って良いほど栄養価の無い「塩むすび」で、エイヤーと力が入るのは日本人だけ・・・という事を完全に失念していたのだ)

アミーゴ達は、実は逃亡したのではなくハンバーガー屋に向かっただけなのだが、ミッド・マンハッタンで食事をした事がなかったので異様に緊張して注文にもたつき(スペイン語も通じなかったので)、昼休み時間を完全にオーバーしてしまったのだ。

帰って来たアミーゴの一人は開口一番喰ってかかっno_somos_palomasてきた。「カブローン!チンガ・トゥ・マードレ!俺たちは鳩ではない、人間なんだ!ハンバーガー代を負担して貰いたい!」と激怒している。・・・それ以来、そこでの賄いは肉料理が中心となったのだが(苦笑)

日本人は淡泊なので、たとえばメキシコのトルティージャ(玉蜀黍粉に石灰を混ぜたピザ生地のようなもの)に塩だけでも、さほど不満もなく味わいながら満腹になることが出来るが、彼らはそうはいかない。欧米の人間も含めて、日本食に慣れていなければ、ベジタリアンでも無い限り同様のリアクションをとるだろう。

日本の白米信仰というのは特別なものがあるが、どの国でも主食となるものはシンプルで美味である。しかし、誰もがそう思うかというと「?」マークが付く。米国人というかアングロサクソンは、実に失敬なことにメキシコの主食トルティージャの匂いが耐えられず、米国内のメキシコ料理屋で出されるトルティージャは玉蜀黍粉ではなく、真っ白な小麦粉を使っている。日本のメキシコ料理屋でも、その小麦粉で作った「な~んちゃってトルティージャ」を出す店が多く、私の場合は我慢ならないのだが、一度でもメキシコのトルティージャを食べたら、日本人の誰もは玉蜀黍粉の方を選ぶ筈である。

ちなみに失敬な話ではあるが、アジア人の舌の方が欧米人に比べて繊細に出来ていると思うのである。といっても、日本人の場合は、どこかで大きく脱線してしまい(それをアレンジと都合良く呼ぶ人もいるが)全くの別物を作り上げて勘違いしてしまうことが多いが(インド人が激怒する日本式カレーがその典型だが)、本来は、ストレートにオリジナルな味を受け入れる素養は持っている筈なのだ。


アンチ・グルメ大作戦 vol.06  何もないので料理できない!
投稿日: 2015/12/26|Posted in アンチ・グルメ大作戦!|(無断転載禁止)
元・帰国子女の女性から聞いた話なのだが、彼女はカリフォルニアで(暇つぶしに)折り紙を教えていた時、ふと窓の外を眺めると、彼女の大好きなコリー犬が通過したのだそうだ。すると、折り紙会場からどよめきが起こったというのである。

何をどよめいているのか訊ねると、「アキ子!あなたは魔法使いのようだ!どうして外を眺めながら、紙が正確に折れるのか?」と皆が驚いているというのだ。

anglo_triangleこれには爆笑してしまったが、確かに欧米人は手先が不器用で、例えば正方形を半分に折って直角二等辺三角形を作ることが、なかなか上手く出来ない。指先が触覚の役割を果たしていないのである。私自身も「鶴」を折ってみせ、最後にプッと息を吹き入れ胴体を膨らませると、どよめきが起きたものだ。

「いったい、いつの間に空気穴を開けたのだ!?」・・・これは、ちょっと意味が違うか(失笑)

さて、元々手先が器用で、日常的に様々な食材を利用して料理するアドリブ系アジア人と、譜面がないと演奏が出来ないクラッシック系欧米人では、とてつもなく大きな差がある。欧米系の女性と結婚している多くの日本人が経験するのは、奥方が「何もないので料理できない!」とボヤく事である。ところが旦那が冷蔵庫を開けると、いろいろ食材は揃っている。

アジア系女性の場合、手元にある食材から何が料理できるかを瞬間的に考えるのだが、欧米系女性は、例えば「ビフテキ」を作ろうと思って冷蔵庫を開けるので、ステーキ肉がないと万歳してしまうのである。ではハンバーガーを作ろうと発想するのだが、手元にあるのは食パンが一斤と鶏の胸肉があるだけなので、これではハンバーガーも作れないと嘆くのである。

さらに付け加えれば、例えば「ジャガイモ」を見たアジア系女性は、他にある食材を眺めながら「茹でようか」「焼こうか」「蒸かそうか」と考えるのに対し、欧米系女性は、先ず「料理名」ありきなので、ジャガイモから何が出来るかとは(なかなか)発想できないのである。

このことは食のバリエーション差というよりも、アジアの女性が欧米女性に比べて長らく被差別状態に置かれてきたことに関係するのかもしれない。どんなに食材が乏しくとも、ご主人様に美味しい料理を作るのは女房の努めであるというような。今時、そんなアナクロな人はいないと思うが、花嫁修業というのはその証左だろう。欧米系の女性に「花嫁修業」なんて口走ったら、即刻、サヨナラである。どんな眼をして相手を見るかも(もちろん、野蛮人を見るような眼であるが)容易に想像できる(笑)


アンチ・グルメ大作戦 vol.07  五穀豊穣、カメレオンの尻尾
投稿日: 2016/1/17|Posted in アンチ・グルメ大作戦!|(無断転載禁止)
味覚舌が馬鹿になるのは決して化学調味料のせいではなく、単に飽食に起因するものだろう。

アフリカのマサイ族が遙か彼方のオブジェクトを識別できるように(視力が7.0だの8.0だの、とてつもない視力を持っているように)、日本人の「舌」も非常に感度が高く、それに関してはマサイ族の視力なみに優れていると思うのである。

「この漬け物さえあれば、他に何もいらない。何杯でもご飯が食べられる!」
これは「塩むすび」+「沢庵」だけで腹や腰に力が入る日本人ならではの、よくある発言の一つである。

私の親友に、自らを「駱駝(ラクダ)と名乗る風変わりwasabiな男がいる。彼は先月「これがソウル・フードと呼べるかは疑問だが、これさえあれば他に何もいらないというほどの好物で」と、伊豆天城産わさび茎新芽の三杯漬をくれたのである(これは私も大好物で、貰ったその日に全部平らげてしまい家人を唖然とさせてしまう)

一汁一菜、仏教戒律に基づく精進料理の影響というよりは、単に日本は貧しかったので、一汁一菜で満腹になるようDNAに組み込まれてしまっているに違いない。まぁ、食文化に関しては、何が豊かで何が貧しいのかは一概には述べられないが、少なくとも「塩むすび」+「沢庵」だけで、西洋人は満腹感を得られないのである。

Chamaeleo周囲に食べられそうなものがほとんど無かったので、「これ、ひょっとして食べられるのではないか?」と食材を求めて山歩き。そして見付けたのがゼンマイだの、ワラビ、フキなどの野草というか山菜だったに違いなく、おそらくトリカブトなども試して悶死したケースもあったに違いない。ゼンマイなんて見た目が極めて怪しい(カメレオンの尻尾のような)ものを「食べてみよう」と考えるなど尋常ではない。そのゼンマイやワラビにしても、そのまま口に放り込めるわけではなく、灰汁抜きした後に天日干しという極めて面倒なプロセスを経て、何とか食べられる次元に持って行くわけで、その執念というのは、やはり貧しさが背景にあったとしか考えようがないではないか(あなたは、薬膳というものを無視している・・・という指摘には、人間は、飢えれば土や木の皮まで食べるものだと記しておこう)

日照りや旱魃による凶作。頻繁に大飢饉に見舞われ続けた江戸時代の日本では、粟や稗などがあれば御の字で、農民は厳しい年貢の取り立てで(珈琲やカカオ生産国の農民が、珈琲やチョコレートの味を知らないのと同じ構図で)生産者であるにもかかわらず、その収穫物を満足に食べる事ができなかった。

かつて萬屋錦之介が主演した「子連れ狼」。手傷を負った子連れ狼「拝一刀」が山間部の百姓家に身を寄せた際の一コマ:

農婦「うちは貧乏でお茶っ葉もありません 白湯(さゆ)ぐらいしか差し上げられません」
一刀「白湯で結構。かたじけない」

実に美味しそうに白湯を飲む一刀の姿が未だ忘れられない(もちろん、萬屋錦之介の演技が優れていたからなのだが)。しかし、飢えていれば、お湯そのものの味も舌は察知できるのである。つまり、貧しさが日本人の「繊細な舌」(味覚)を発展させてきたに違いないと思うのである。

ちなみに私は、その繊細な味覚を見事に騙す「味の素」を発明したのが日本人であるという事実にも、深い感銘を覚えるのだが(笑)   (つづく)